すべての「願いを射止める」
矢取地蔵とは

右手に矢を持ったお地蔵様

矢取地蔵(木造地蔵菩薩立像)は造られた年代が明らかになっている貴重なお地蔵様で、鎌倉時代前期の1224(貞応3)年に仏師近江講師経円(ぶっしおうみこうしきょうえん)によって造られました。
像が造られてから800年経っているにもかかわらず、柄衣(上着)、袈裟(衣服)には鮮やかな色が残っています。
また、お地蔵様は通常右手に、上部に輪がついた錫杖(しゃくじょう)と呼ばれる道具を持っていますが、矢取地蔵はその代わりに矢を持っています。
全国にあるお地蔵様の中でも珍しい木造菩薩です。

放った矢がすべて当たる
矢取地蔵の逸話

佛心寺に安置されている国重要文化財「木造地蔵菩薩立像」には800年前から伝わる不思議な物語が残されています。
平諸道(たいらのもろみち)の軍勢が隣村との戦いで敗れかけた時、突如若いお坊さんが現れ、戦場に落ちていた矢を拾って渡してくれたのです。
その矢を放ったところ、すべてが敵の軍勢に命中し、見事に討ち払うことができました。
後日、お寺に参るとそこに祀られていたお地蔵様がお坊さんに化けて助けてくれたことがわかりました。
それからお地蔵様は「矢取地蔵」と呼ばれ、地域で大切に守られてきました。

 昔話に残されている
「百発百中」の謂れ

冒頭に記した矢取地蔵の伝説は、古くは平安時代に書かれた「今昔物語(こんじゃくものがたり)」に登場します。
その後、同じようなお話が「矢取地蔵縁起絵巻(えんぎえまき)」としてわかりやすい絵物語にされています。
そのいずれにおいても小さなお坊さんの拾った矢によって「本意の如く(ほんいのごとく)」「その矢むなしからずして、思いのごとく」敵軍を倒すことができたと書かれています。
放たれた矢は「狙った通りに」「一本も無駄にすることなく」、つまり百発百中で当たったと記されています。

「矢取地蔵のむかし話」
 残されたお話の内容

近江国依智(えち)郡賀野(かの)村(現・滋賀県愛荘町)の検非違使(けびいし)平諸道の先祖がまつられていたお寺にそのお地蔵さんは安置されていました。
日照りの続いたある年、隣村と水争いが起きます。
にわかに村の高橋将監(たかはししょうかん)の軍勢が襲ってきました。
こちらの軍勢はわずか6人。必死に戦うも、持っていた矢のすべてを射つくしてしまいます。
「お地蔵様、なにとぞお助けください」。
一心に祈っていたところ、突然一人の小僧が戦場に現れました。
そして戦場に落ちていた矢を拾い取っては諸道に渡してきたのです。
その矢ですぐさま敵を討って応戦します。
途中、矢を拾っていた小僧の背中に敵の矢が突き刺さり、小僧の姿は見えなくなります。
その後、小僧から手渡されて放った矢のすべてが敵の軍勢に命中し、形勢は逆転。
諸道の軍勢は勝利をおさめます。戦いを終えてお寺に参ったところ、お地蔵様のお顔に矢が刺さっていました。
「矢を拾って渡してくれた小僧はこのお地蔵様であったのか」。
諸道はただただ感激し、泣きながら礼拝をしたのでした。
諸道はその夜不思議な夢を見ました。
夢枕に立ったお地蔵様は、「私は目が不自由になったので一番見晴らしのいいところに移してくれ」と告げました。
さっそく岩倉山にお堂を立ててお地蔵様をお祀りしました。これが現在まで続く矢取地蔵です。

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